今後やるべきこと

昨日の「哲学/倫理学セミナー」に来ていただいた方々、ありがとうございました。やっぱり素人からはじめて二、三ヶ月で経済学全体を批判しようというのは無理があったかもしれませんが、まとまらない話に対して諸氏から有意義なコメントをいただけたのは、紛れもない収穫でした。というわけで、諸々いただいた「宿題」について、とりあえずのところをメモ的に。

現在ではレギュラシオン理論の日本における立て役者として有名な氏の、マルクス経済学についての研究書。しかもその「経済学批判」の「方法」について、というのだから、チェックしておくべきでした。

第一の方法とは、「経済学がその発生にあたって歴史的にとってきた方法である。とくに「17世紀の経済学者たち」が実際におこなった方法である。それは、経済学の母国イギリスでの資本主義草創期の政治経済学者にふさわしく、「人口・国民・国家・多数の国家」等々の生きた全体からはじまる。そして「分析によって、分業・貨幣・価値など、二、三の規定的な抽象的一般的規定を見出すことに終わる」。(二頁)

という、「分析」の道は、歴史的な事実から何らかの規則を求めようとする帰納の道だといえると思いますが、

これに対して「第二の方法」は、右の「第一の方法」=「分析」の行き着いたところから逆に、具体的な現実へとさかのぼる道であり、「後方への旅」とも命名される。それは多かれ少なかれ総合的な叙述の方法である。それは、上の分析が行き着いた「労働・分業・欲望・交換」というような「単純なもの」からはじまって、「国家・諸国民間交換・世界市場にまで上っていく経済学体系」としての「叙述」の方法である。(三頁)

という「総合」の道は、いったん規定された規則が、「体系」として現実へと適用され、「『具体的なもの』を『それ自身の多くの諸規定の総括』として、したがってまた『多様なものの統一』として叙述していくプロセスである」(同)というのですから、経済学における「実在的思想」あるいは「思想的実在」を語ろうとする先の僕の発表に大きく関係しますね。

また、「歴史的社会的な形態諸規定と自然的質料的な生産諸関係との区別」や、それが『剰余価値学説史』における「分析的方法/発生史的方法」へ彫琢されていくこと、その「発生史(Genesis)」なる語が、「genus (類)」からの派生語であり、すなわち、アリストテレス的な「論理学」との強い親和性がある概念であるという指摘も見逃せない。

したがって、それは何よりも、現存する「類」=普遍的人間集団の原理にかかわることであり、クロノロジー(時間継起=年代記)としての歴史とは異なる。(9頁)

こうしたところから、経済学の「学」としての「体系性」をもう一度考える必要があるように思われました。

他、ざっと、

やっぱり、経済学を考える上で、市民社会は外して考えられないこともまた痛感。国家と個人の間にある、中間的行為連関としての「市民社会」。