金融資本についてのメモ(注意:非常に内向き、未整理)

ペンは剣よりも強し、とはよくいわれることだが、金もペンと同じくらい、いやそれよりもさらに強く人に作用するものなのではないだろうか。その力の源は、「信用」と呼ばれる強度量である。

歴史に「永遠不変のもの」を見出し続けた象徴体系の「本質主義」が、強度量の氾濫を抑制するものだったのに対して、象徴体系をも飲み込んだ金融資本は、「金」の保有量を物質的な根拠とすることもやめ、あらゆる価値を統制することになる。戦争の背後に大規模な金融資本の導入があったのと同様に、かつてローマ教皇フッガー家からの銀の借り入れの返済をするために、象徴体系の要となるべき「信」を売ったといわれる(免罪符)。そこで行われたのは、象徴における「信」の強度的な内包分布を、貨幣という「信」の強度量へと変換することだったのではないか。もはや額面どおりの物質的な基盤をもたない貨幣は、例えば、ドルという基軸となる「神」に対する「信」の大きさによって価値を計られることになる(為替と基軸通貨)。ブランドとしての通貨(証券)と、その政治的強度分布を把握するためのマップを構築することが求められるだろう。