ネットとコミュニズム

昨日のエントリ(id:d-araya:20050108)で、GPLなどのフリーウェアコミュニティとコミュニズムの微妙な関係について書きましたが、奇しくも、というか、僕にとっては都合が悪くも、最近ビル・ゲイツも Comsumer Electric Show のインタビューで同じようなことを話したらしいです。で、早速ワイアードにそのことに対する反論記事が出てました。

"I get sad when people cheapen words like 'communist' or 'fascist' by throwing them around recklessly, especially given what those words meant in the not-so-distant past," Brown wrote. "My father was a CIA Cold Warrior for 35 years of his life; he wasn't fighting against GPL'd software. Stalinist purges, the Berlin Wall, tanks in Budapest -- that's communism.

"And let's not forget just how many creative people's lives were ruined by irresponsible name-calling not too long ago. Remember the Hollywood blacklists?" he wrote.

前者のパラグラフ後半部分などは、まあ、単なるレトリックで議論としての価値はありませんが、クリエイティブ・コモンズのような動きが、「私的所有」なるもの−特にこれは著作権ですが−を改変しようとしているものであり、コミュニズムを志向するものではないというのは、そのとおりですね。しかし、ワイアードの記事では、クリエイティブコモンズ(これは、communist ではなく、commonisit だとレッシグ教授)とGPLを全く同じ身分で扱ってますが、そう簡単に一緒にはできるもんなんでしょうか。実際、GPLが、コモンズのような部分的ではあれ、著作権形態をとっていくものであるとするならば、というか、何らかのかたちで主体性概念を維持し続けるものであれば、コミュニズム的な全体主義になることもないでしょう。「集合知性」ではなく、「個的ではないような主体の折り重なり」というわけですね。いずれにせよ、そっちの方向に進めば何もいうこともないような気がしますが、それにはまだ少し予断を許さないような気もしました。