「倫理学」の黄昏

だーいぶ、長いことご無沙汰してしまいましたが、ぼちぼち夏休みということで、更新させてもらいます。

このブログは、ちょっと調べれば誰がやっているのかわかるといった感じで、例えば別な方面で僕の名前を知って、ネットで検索した場合などは、間違ってもこのサイトがトップでヒットすることはないように、といった曖昧な位置づけでやってきたつもりだったのですが、それでもひとあたり盛り上がったときもあったために、意外なところで見ましたといわれることが増え、ネット上のキャラと他の個人的な文脈でのポジションの取り方など、微妙に錯綜した感じになっておりました。なんか、そうなると、もう、いろんな文脈で生じうる意味などを考えてしまって、容易にエントリたてられん、という情況になってしまっていたわけですが、それで、気がつくとこんな時間があいてしまっていたということでした。なんらかのネタを期待して見てくれていた方には申し訳ありません。

ついでにダラダラと書かせてもらえれば、そもそも何かを書くということは、360度さまざまな文脈と解釈に開かれた状態にものを投げ出す、ということなので、本当は何らかの覚悟が必要であるとともに、そうした情況に耐えうる形式というものが求められると思うのですが、ブログでうまくそういう要件を満たすためには、どうすればよいのでしょうね。いや、単に、ネット上のキャラと割り切ってしまえばよいのかもしれません。が、日々の出来事の断片の記載するという建前上、「あれはテレビ用の顔ですから」とかいうのと同じように逃げられるものかどうか、わからない面もありますね。

えー、まあ、しかし、何にせよ、ちょっとした事情で、ここで打ち切り、というわけにはいかないようなので、ぼちぼち最近の話題から。先日、倫理学関連の某事典の編集会議に出席したことについて。

実際、「倫理学」って学問の外延はきっちり定まっておらず、説明するときにも境界をぼかした逃げるような答えしか(僕は)できないのですが、まあ、その「倫理学」の事典が、これまでも古くは金子武蔵のものから存在しており、微妙ながら世間的にも認知されているわけです。しかし、今回は、それとは事情が異なる様子。哲学や宗教と微妙な関係を保ちつつ自らを位置づけてきたこれまでの「倫理学」とは異なり、今回は、どうやら「はじめて」、「倫理学」の独自の領域を対象にする事典となる模様。書も「現代」を銘打って20世紀以降を対象にし、各論にまで分裂した「応用」をフォローする、とのことで、個人的には、そうですか、業界の流れはそうなってしまうのですか、という感じなのですが、困ったのは、この文献リストを作る役目を分担することになったこと。編集委員にあらかじめこさえてもらった項目を執筆するならば、書全体のことについては彼らに責任をとってもらえばよいのでまだいいのですが、関連する文献を挙げよ、というのは、いきなり、そもそもいうところの「倫理学」とはなんですか、ということが自らの仕事の問題になってしまうわけです。って、知らないっすよ、そんなの。編集委員の何人かは僕が「応用倫理学」なるものにコミットしていないことは知っているはずなのに、そんなに人間に一翼でも担わせるっていうのは、どういうことなんでしょう。O氏などは、関連領域として、是非カミュ等の文学作品も載せたいなどとおっさる。いいたい気持ちはわかるとして、「では倫理学って何なの?」という問いが強く喚起されてしまうことは、否めないでしょう。個別の対象領域に向き合ったとき、逆に固有の論理を失う危険を感じてしまうのは、僕だけでしょうか。