ピナ・バウシュ『ネフェス』

僅かにすり鉢上なった舞台の中央から水が沸き出している。とはいえ、これ見よがしなアトラクションとしてではなく、あくまでもひっそりと、数多くの強度的な動きが観客の記憶の奥底を刺激する間に。そこには、無形なままに、そして大いなる沈黙を守りつつ、しかし、誰の目にも明らかなものとして息づく「生命」の力が<存在>している。「生命」などという大仰な言葉を用れば、あるいはひとはロマン主義的な郷愁を思い起こしてしまうかもしれない。だが、ピナ・バウシュにおいては、失われてしまった「旧き良きもの」を遠く望むこととは全く無縁な、現にそこに潜在する圧倒的なまでの力が、静かにそしてゆったりと、たゆたっているだけなのだ。

しかし、ひとつのモチーフを、これほどまでに洗練させることができるのかと感心してしまう。おそらく、誰でもが見出すであろう、日々の細やかな事々を、ピナ・バウシュは、丹念に、そして大胆に、その本質だけを提示する。観るものは、「ワカッテルネ」とつぶやきつつ、なおそれ以上のものを浴びせられて、ただただ脱帽するだけだ。いわば個物が、所詮イデアにはかなわないことを思い知らされる快感。その大いなる実在の感覚は、しかし、なぜか遠い記憶の底にあるものを喚起しつつ、我々の個々のパースペクティブがいかに限定されたものであるかを思い出させるのである。

いやあ、極楽、極楽。