デスノ雑感(続)

ネタとしてはもはや取り上げるべき旬を逃しているにもかかわらず、書かずにはおられません。いやー、やっと6巻まで読了。連載では第一部が「ありえねー」仕方で終わったということで、7月の新刊まで待てるかどうかというところですが、すごいっすね。

個人的には、いわゆる「推理もの」は小説でもなんでもあまり好きではなく、あらかじめ設定しておく枠組みをいかに巧妙なものにするか知恵比べみたいな部分が恣意的に感じられて嫌なのですが、デスノは別物。というか、今回はじめて、「ほぼ完璧」な理性による「推理」というのが、その論理によって世界の出来事を統御する秩序となるものだということを痛感させられました。つまり、理性による推理(推論)とは、論理の自己展開なのだ!(と哲学屋だけに通じる言葉で書いてもしかたないか?)えーと、つまり、推理とは、過去に起こった出来事の論理的な構造を明らかにするとともに、未来における出来事の出来をも制御するものであり、時間における現実の展開を先取りしてエクリチュールにまとめ上げるという作業は、デスノートそのものの機能であるとともに、ライトやLの「ほぼ完璧」な理性がなしうることでもあるわけですね。で、そこで、それぞれの「論理学」が、「ほぼ完璧」な理性であって「完全」ではないというところがポイントで、それぞれ十全に未来をも含めた世界を描写しながら、誰が本当の「神」として世界そのものへとたどり着いているのかは、実際に出来事が展開されなければわからない。そうした論理学の争いとでもいえるような契機が、結果的に、読者をグイグイとひっぱっていくことになるわけです。いやー、もし読んでない人は是非!

えー、ただし、若干の気になる点は、完璧な個人(スポーツ万能、東大に満点合格)とその内省によって世界が記述されるという図式は、まあ少年誌だから仕方がないのかもしれませんが、かなり幼稚であるということ。あと、女性の描き方も「正義」についてのとらえ方もかなり画一的で、設定を簡素化するのには役に立っても、深みを全く欠いています。売れ筋を狙っているのだとしても、最初からリスキーな題材を扱っているのだから、もうちょっと個々の問題を深めてほしかった。が、『ジャンプ』の体制ではそんなことも無理ですか。。。