西田幾多郎記念哲学館

西田ファンとしては、一度は行ってみたいと思ってました。石川県宇ノ気村。丘陵地の勾配をそのまま利用した安藤忠雄の建築は思ったよりも心地よい空間。擂り鉢上に吹き抜けになっているホワイエや、勿体つけて奥に設置されている空の間など、一応西田哲学に合わせて設計されたとみえ、建築家という職業もここまで来ると好き勝手できるいい商売だよなぁと思いました。

しかし、西田の愛用の丸眼鏡が保存されていたのは感激。博物館的なものと西田のイメージがかけ離れていただけに、西田の生家の模型とか、西田と山本良吉との間の対談のようすを録ってある音源とか、意外な出会いができたようで楽しめました。

だけど、一般の人にとっての哲学の入り口になればと設けられた一階部分の展示はどうでしょうか。現代の社会と哲学の営みが異様に懸け離れていることに由来するのだろうけれども、例えば文学博物館のような感じで哲学を博物館仕立てにすることは難しいように思えました。ハイデガーの写真と全集を一般展示室に大きく展示することに典型的に見られる京都学派的なバイアスとともに、違和感を覚えるところも何点かありましたが、全体的には好印象の記念館でありました。しかし、入場者数があれだけでは到底採算などは望むべくもないでしょう。正月に帰った折りに行った宮沢賢治記念館が、正月三が日も開けないうちから結構な人で賑わっていたことを比較にとれば、哲学の黄昏が目にも明らかな感じです。

追記:記念館の図書室の資料は、西田に関する書籍が、おそらくはいくつもの蒐集の視点が交錯しているために、傍目には漫然と集められたもののように思われ、研究のためのアーカイブとして使えるかどうかはちょっと疑問でした。個人的には、大正十三年に出た岩波の哲学辞典の存在をはじめて知ったことが収穫。西田をはじめ、高橋里見、宇井伯寿などなど豪華執筆陣。