イマジナルの現象学

『思想』の今月号、「現象学と東洋思想」の特集。永井晋と新田さんによる井筒やコルバン、あるいは西田を通じた、現象学の新たな可能性の提示。「東洋」という言葉に、オリエンタリズム的な含みを感じさせない論考は立派だと思う。論じているところも、僕が考えているイマージュ論読解に近く、親近感を強く感じた。というか、「現象学の新しい道」としての解答としては、この手のものはもはや模範解答に近いのかという気もする。が、いずれにしても、こうした「新しい」取り組みは歓迎されるべきである。

で、それでも気になるのは「東洋」という言葉を、なぜあえて、括弧付きでも用いるのかというところ。その企図するところを、自覚的に、例えば、イスラムキリスト教の、精神分析的対話を通じての象徴交換、などと明示できれば(というか、そういうことを彼らが考えているのであれば)よい方向につながる気もした。