プロジェクト杉田玄白について

2004-12-14より、

なんと、プロジェクト杉田玄白の主催者は、山形浩生でしたか。なるほどねぇ。調べてみたところ、翻訳者は、自分が翻訳した物(二次的著作物)については著作人格権、著作権ともに認められるが、原著に関しては法的な規定はないみたいですね。原著者は、自著の著作権と共に翻訳権も持ち、翻訳された物についても著作人格権と著作権を持つが、これも死後50年(現行)で切れるようです。なので、山形のプロジェクトは、「新しいもの」については、原著者に交渉して翻訳権をとり(もちろんとれないものもあるので、お蔵入りも結構あるという)、著作権が失効しているものについては「自由」に翻訳するというもののようです。

ということは、学界仲間うちで暗黙のうちに守られている(ように思われる)「翻訳し直し権」のようなものは、訳者に帰属する「翻訳権」ではなく、出版社がもつ「出版権」のような類のものなのだろうか。ここら辺は要調査ですね。

しかし、山形の試みはどうでしょう。彼自身の一貫性は感じられてよいですが、「派生的な改変の自由」みたいなところは、本当にそれで大丈夫かと思いました。個人的には、
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みたいな集団型の知性は、責任の所在が明らかでないため、気持ち悪くて使えません。常に改変されていくものだとしても、知性の戴冠のようなものは必ず必要な気がします。それが必ずしも学者のような権威ではないとしても、知の帰属が明らかでないと批判も成立しないと思われます。改変の履歴を明らかにするとか、そういった装置がないと。現状では、常に原文とセットでなければ使いようがない「下訳」としてしか使えないのではないでしょうか。それでよいのか?